12月4日 第七天 突然の体調不良

昨夜も楽しく酒を飲み過ぎてしまった。

これまでの人生の中で一番しんどい朝だ。

いつもの自分ではない。

 

10時、呉女史がホテルに迎えに来てくれた。

この日は我々の体を台南の友人達に預ける。 

休息を兼ねた中日(なかび)だ。

車が着いたのは安平老街という所でなかなか趣がある。

 

しかし刻一刻と体調は悪化していき限界を感じた。

二日酔いではなく貧血のような感じだった。

そこでゲバラは呉女史の車でホテルに戻って、仁史君だけ楊一家と食事に行く事にした。

 

ホテルに戻ってからは文字通り倒れていた。

途中清掃員がノックしてきて「お掃除とドリンクの交換に来ました」とか言ってきたが、それに対し答える気力もなかった。

 

それから5時間位横になったら少し回復していた。

 

オレはフラフラした足取りでホテルを出て

床屋を探した。

 

今回から始めた企画〔旅するりんごジュース〕のりんごジュースは台湾各地で配る分とは別に嘉義市の民和国民小学校6年生に送った。

それは担任の呉長翰先生とゲバラの個人的なご縁から始まった付き合いがきっかけだった。

 

実は2日前に呉先生から特別授業のリクエストを頂いたのだけど、スケジュール調整が出来なかった。

そこで私からオンラインでの授業を提案したが、呉先生は諦めなかった。

生徒の為にここまで熱くなれる先生ってあまりいるもんじゃない。

 

我々は台南に到着した昨日123日の18時に嘉義での授業(12月7日)を正式にお受けした。

授業の内容も構成も全く白紙の状態だったが、子供達の前に立つからには私の場合 モヒカン にならなければならない。

ふざけている とか思う人もいるかもしれない。

 

全然違う。

 

これまで岩手や宮城の小中高100校以上でこのスタイルで授業参加している。 

子供達に語る前にまず筋を通せという訳だ。

 

某ホテル近くの床屋さんの腕は確かで立派なモヒカンに仕上げてくれた。

18時、呉女史がホテルに来てくれた。 

ちなみにいきなりモヒカンになった私に対し一切の感嘆がない。 

 

 

呉女史は小北観光夜市に連れて行ってくれた。

初めてきたが夜市というより巨大なフードコートのようだった。

呉女史は我々の疲労を回復させるため蛇のスープなどをご馳走してくれた。

そして宴もたけなわの頃、私設台南観光大使のHsuさんが合流した。

Hsuさんと会うのはこれで2度目だ。

今回はお互い連絡を取り合ってあったけど、Hsuさんとゲバラの初めての出会いはちょっとした奇跡だった。

 

6回目の縦断時、台北華陰街のゲストハウスFilip Flopを出発しようとしていたゲバラと根本蓮君に反対車線から大きな声を掛けてきたのがHsuさんだった。

日本語は上手だし、日本文化に精通している。

 

ちょっと待て・・  オレはこの人 どこかで見たことあるぞ・・

 

そうだ!以前 確かFacebookにドヤ顔で 苓和小学校に来ました と投稿していた人じゃないか?

それを本人に確認すると 「はいそうです」 と自供した。

 

ゲバラは出国前、あのドヤ顔からインスピレーションを受け日清のカップヌードル「令和」を2個買って台湾に持ってきていた。

 

2019525日 ゲバラとHsuさんはそんな出会いをし、持ってきたカップヌードルをお渡ししてからのご縁。

偶然も偶然 奇跡に近い。


12月5日 第八天 台南→高雄→潮州

10時 台南を出発。

昨日は倒れたくせに飲んでしまった。

当然具合は悪い。 自業自得いや自業自損 セルフ玉砕だ。

この日は高雄まで自転車で行き、高雄から潮州までは電車移動の予定。

我々は台南市内を抜け海岸線を南下した。

快晴、追風、自転車、海岸線、友達。 

この快適指数を体感せず人生を終えるのは本当にもったえない。

 

走りながら考えていたのは、明後日嘉義で行う事になった授業内容。

呉長翰先生からは、登校時の交通安全員をやった後1時間目から3時間目までの食育交流的な授業を提案されていた。

せっかく時間を作ってくれた呉先生と生徒達の思い出に残る授業がしたい。

 

さて、何を話そうか・・

太陽光をこれでもかと浴びる仁史君の背中を追いかけながらぼんやりと考えた。

15時過ぎ 高雄に着いた。

西子湾隊道というトンネルを抜け駿二芸術区、歴史博物館(旧高雄市役所)、美麗駅などの見どころを紹介しつつ、17時半の電車で潮州に向かった。

 

潮州に行ったのは個人的な色艶背景があるからであまり触れたくない。

なので 潮州での出来事は、あれ食った。 ここに泊まった。 あーだこーだ。にとどめたい。

                      つづき