12月8日 第十一天 木下先生と会食する 台北stay


9時頃起きた。 体調は悪いがこれでも少しは良くなった。

なんせ昨晩は寝入ってから直ぐに発熱し先が思いやられた。

明日朝の空港サーモグラフィ検査で37.5度以上あれば容赦なく隔離されてしまう。

帰国もずれるし金も掛かる。

仁史君が「オレ解熱剤持ってるぞ」とか言ってたなぁ・・・・どうしよう・・・・

 

気がついたら朝だった。 ものすごい汗をかいている。 これは良い傾向だ。 平熱に近い。

 

 

午後一番で淡水に行った。 自転車をまた楽奇単車に預ける。

約束通り13時に行くと楽奇単車の店員が待機してくれていた。

サドルが合わなかったので勝手に交換した事や無事故だった事、そして来年も必ず来る、そんな話をした。

 

それにしてもあの陽気な楽奇単車の主人は今回会えていない。

このまま立ち去るのは不憫だった。

 

店員に「ところであの主人はどうしてる?」と聞いてみた。

すると店員は2階に上がるような仕草をした。

意味が分からなかった。

 

店員はさらに両手を合わせ祈った。

 

信じられなかった。オレは店員から主人のその後を聞いた。

楽奇単車の主人とゲバラが最後に会ったのは20191211日だったが、

楽奇単車の主人が旅立ったのは2020年の春先だったそう。

つまりあれから半年しないうちに亡くなったらしい・・

 

今回の3年ぶりの縦断旅を行うにあたりその日程を楽奇単車の窓口にメールした際、

「預けている日本国旗はまだあるか?」と確認した。

楽奇の窓口からは直ぐに「まだあります。」と日本語で返信があった。

 

ここからは想像だけど、あの主人から現在の店員に楽奇単車が代替わりする際、

「これはいつかまた来る日本人から預かっている物だから捨てないでね」と引継ぎしたと思う。

最後の最後でいい仕事されると いやはやなんとも 憎い・・

 

楽奇単車は第5回の縦断からの付き合いだった。

ゲバラが要求する自転車整備のレベルはかなりシビアだけど楽奇の主人はいつもそれに応えてくれた。

整備士としてのプライドだったと思う。  昔の画材倉庫にあの陽気な主人はいた。

2018.12.11   2019.5.24   2019.12.3

世話になりっぱなしだった人に恩返しもできぬまま旅立たれるというのは 辛い・・

全ての日本人に一度読んでほしい 【アリガト 謝謝】
全ての日本人に一度読んでほしい 【アリガト 謝謝】

悲しむのは後にしよう。

我々は楽奇単車をあとにし、近くの高層ビルに行った。

その大都会広場というビルにはサイゼリアがあってそこの辣水蓮櫻花蝦麺(サクラエビと水蓮菜のペペロンチーノ)

これは、高雄王記牛肉麵(店名)の麻醬乾麵に並ぶゲバラのハートを鷲づかみにした食べ物。

自転車返却後ここでこれを食べるのが定番化しています。

 

この日のメインは台湾で作家をされている木下諄一先生との会食で

18時に南機場夜市はずれの徐記川菜でお会いした。

 

木下先生は2017年[アリガト 謝謝]という本を出版された。

2011年東日本大震災当時、台湾で巻き起こった日本支援旋風を先生はあえてノンフィクションではなく小説化して出版した。

 

この小説の関係で木下先生の招聘講演会が岩手県宮古市であり、お団子片手に拝聴したのが先生とゲバラとのご縁のきっかけ。

コロナ禍の折も先生から「いつか台湾に来る時は必ず連絡して」と暖かいお言葉を頂いていた。

そのいつかが今夜。

 

会食をしながらオレは今回授業ができて良かったと先生に報告するも、仁史君はゲバラのわんぱく笑い話しか先生に報告しなかった。

両方の耳で相対的に聞いた木下先生の感想は

「小学校で愛と平和を語りつつ、ヤクザをぶちのめすなんて無茶苦茶じゃないか」だった。

 

初回から今回まで、のべ5000キロ近く走ってきて全日酔っぱらっているのだからいろんな事があったのだと思う。

 

そして最後に 徐記川菜について レトロ感、料理人のセンス、どれも素晴らしかった。 どれも美味しかったけどオレが一番感動したのが 宮爆鶏丁 。 本当に美味しかったです。


12月9日 第十二天  森保監督に会う!@@

3時に起きた。 帰国便が6時だから・・ 誰が決めたの・・

お土産で破裂しそうなスーツケースを抱え台北駅↔桃園空港のバス乗り場へ

すると何らかの事情で6時まで運航していないそうで、仕方なくタクシーで空港に行った。

そして何もトラブル事なく1040分成田に着いた。

 

借りていたWi-Fiを返却し成田第1北ウイングを歩いていたら、サッカー日本代表の森保監督のような人(マスク着用で断定できなかった)と目が合った、なんせモヒカンだ。 そして森保監督のような人は言った「応援ありがとうございました」 これは間違いないのではないか?

 

総括

いつもこの項目には総経費と使途データ及び配布した物の数などを記しています。

しかしながら今回は総経費、使途データともに記録していません。

急激な円安と物価高が重なったのと、自主防疫期間中、安宿や相部屋が利用できなかった。

節約しようにも節約できない状況におかれ、金銭出納データを記すのがストレスに感じたからです。

ざっくり言うと、前回縦断総経費の1.7倍掛かりました。

そして恒例のカレーのお振舞ですが、これも自主防疫期間のため直接調理ができず食材提供のみとなりました。

127日の授業の日、この日は晴れて自主防疫期間を明けていたので18食分カレーうどんを配食しました。

犬も歩けば棒に当たると言いますが、バカも走れば授業に当たりました。

これが本当に良かったです。

 

8回謝謝台湾自転車縦断 202211.2812.7 

走行者 銭ゲバラ46歳 鈴木仁史46

 

11月28日 成田→台湾 台北市

11月29日 台北~鶯歌 走行45キロ

11月30日 鶯歌~台中(鶯歌~苑裡まで電車) 走行58キロ

12月1日 台中~西螺 走行78キロ

12月2日 西螺~嘉義 走行52キロ

123日 嘉義~台南 走行86キロ

124日 台南stay 倒れながらもモヒカン

125日 台南~潮州(高雄~潮州まで電車)走行83キロ

126日 潮州→嘉義 電車

127日 民和国民小学校で授業 その後電車で台北

128日 台北stay 自転車の返却 木下諄一先生と会食 

129日 台北→成田 朝6時半の飛行機で帰国 成田第一北ウイングで森保監督と会う

 

感謝のカレー318食(食材提供も含む) 感謝の手紙97

 

協賛 S&B食品 JA江刺 JAいわて中央 内田歯科クリニック

 

 さて、第8回謝謝台湾自転車旅 お付き合いいただきありがとうございました。

旅の余韻が漂う中、全てをひっくり返す事実を報告します。

走行初日、台北~鶯歌まで同行してくれその日の台北に戻った 大鳥さん ですが

なんとその後我々を追いかけ出発し、台南辺りで我々を追い越し、「あの日本人達はどこに行ったのだろう?」と結局大鳥さんはそんな動機で800キロ走行していた。

我々がそんな大鳥さんの行動を知ったのは帰国後復活したlineを見てから

 

大鳥さん あなたはたぶん鳥だ。 いや飛行機だ。 いやいや尿検査するから日本に来なさい。

 

次回、第九回自転車台湾縦断は久しぶりに東海岸の断崖絶壁を予定しています。 それでは