絶対なんかない。
これが最善とかもない。
昨日午後台南から嘉義に入った。
宿は嘉義の小学校が選んでくれるので
嘉義で一番の高級ホテルになる。
だからベッドも一人なのに2つある。
個人的には絶対に泊まれないホテルだ。
11月18日は小学校と中学校で授業と募金の贈呈式が予定にあった。
この授業や募金贈呈には補足を入れます。
少し長くなりますがお付き合い下さい
まず5回目の縦断をしていた2018年12月嘉義で小学校の先生と知り合い、2022年12月その小学校で授業をした。
これが意外とウケて恒例化する。
2024年1月1日 能登震災が発生し、嘉義の小学生27名は自発的に募金活動を開始。
集めた全額をオレに送ってきた。
総額102000円。
募金を受け取ったオレは仲間達と再度能登半島に行き嘉義の名物鶏肉飯を炊き出しした。
「まだボランティアはご遠慮ください」と言われていた時期、電気ガス水道はおろか食材自体が入手できなかった状況も併せて、このニュースは台湾全国紙の1面に掲載され日本でも報道された。
そんな熱狂のほとぼりが冷めた頃、募金活動をした嘉義の民和小学校が弱勢指定校である事や募金活動とは名ばかりで実際のところ児童達27名がお金を出し合って集めた102000円
という事を知った。
だからオレと仲間達は
募金活動をした児童に募金活動を開始した。
結果多くの方々から協力され348000円集まった。
さて 話を戻し
11月18日6時、そんな募金を抱えつつ民和小学校へ
贈呈式、小中学校での授業を無事に済ませた。
台南に続き嘉義でも誕生会をしてもらった。
この日全校生徒の給食に盛岡じゃじゃ麵を添えてもらいみんなで一緒に祝った。
給食を食べ民和小学校をあとにしたのが
12時50分
ここから呉長翰先生の運転する車でホテルに戻り駅まで自転車を乗り分解してから乗車しないといけない。
電車は14時14分発。
十中八九間に合わないけど呉先生のTOYOTAは疾走した。
学校の先生の運転ではない。
駅に着き自転車を分解し電車に飛び乗ったのは発車15秒前。
Misson inpossible
「諦めなきゃなんとかなる」 否。
この旅を通じて思うのは
絶対なんかない。 これが最善とかもない。
という事に尽きる。
募金だって本当は目標500万だった。27名の児童を日本に招待したかった。
でも348000円でもいいじゃない・・
贈呈式後に予定されていた授業も体調不良でできなかった。
2時間ばかり保健室で寝ていた。
もう どうでもいいって時はある。
死に体のままここまで来たという事がある意味授業だ。
台北の宿Taipei109Hostelに着いたのは
19時半
近くの温州大クントン?とかいう店が気に入って入った。
首都の中心部にこんな店が残るのが台湾らしくて好き。
12月19日は自転車を小李単車に返しまた豚足定食を食べ、また温州大クントンに行った。
一度好きになるとずっとそれな人。
朝起きると熱っぽかった。
風邪なのか病気のせいなのか分からないけど
最終日だから帰国せんといかん。
空港でのサーモグラフィーは反応せず無事に搭乗し17時花巻空港に到着した。
心身共に限界だった今回。
翌日病院に行くと
インフルエンザA型との事。
12月2日再入院を果たす。
謝謝台湾 津波の時助けてくれて
ありがとう!
最後に 開華 の皆様へ 特別の敬意と感謝を
民和小学校の6年生27名に届けることができた募金は348000円
そのうち我々謝謝台湾隊が拠出したのは102000円
残る金額の多くは開華のメンバーの皆様にご協力頂きました。
2023年5月17日高雄の保安堂で知り合った開華の皆様
皆様のおかげで貧しい小学生の卒業旅行を
1泊2日から2泊3日にアップグレードする事が叶いました。
謝謝開華 募金をしてくれて
ありがとう! あと良美!
第11回謝謝台湾自転車之旅
走行距離 150キロ
感謝のカレー 100食
総経費 第1回のちょうど10倍掛かった。