2016年から始めたこの謝謝台湾縦断之旅も回を重ね10回目となりました。
なんでこれだけ続いたのか? 自分に対してすら上手く釈明できない。
旅のきっかけは東日本大震災。
あの時台湾が全力で日本を支援してくれたから。
日本に対する義援金と人口割合、これが台湾が断トツのトップで2位とは10倍の差があった。
また実際に台湾の仏教系団体が被災全世帯に世帯数にあわせ7~3万円を配布していたのを目撃したし、GIANTという台湾の自転車会社からは1000台の自転車が届けられ私らの手を介し被災者の手に渡った。
被災者からは「ありがとう ありがとう!」と感謝されたけど本当に感謝されるべきは物資や金銭を送ってくれた人達で私ではない。
いつか台湾に行ってお礼がしたい
そう想うのは必然だったし、その想いは今も色あせない。
むしろ感謝の旅を重ねる度にその想いは強くなる。
まるでいくら返済を続けても借金が膨らんでいく多重債務者のようだ。
今回はタイガーエアの花巻~台北桃園を利用するのでフライト当日まで余裕をかませる。
いつものようにフライト前の最後飯にはこだわりがあり、今回は東家の鶏とろろそばにした。
14時 隣接する盛岡バスセンターに空港行きのバスに乗りに行くと、なんと始発の朝一番のバス以外は盛岡駅発との事。
岩手県交通は紛れもない大ハガ野郎である。 運航時刻でフェイントをかけるな・・
仕方なくタクシーで空港まで行き1万近く余計な出費をした。
21時定刻通り台北桃園空港に着き台北市内へ
予約していた安宿 瘋台北青旅 に着いたのは11時半、安宿だけにフロントに係がいるのは10時まで
宿の入口にオレ宛の封筒がありそこに鍵と簡単な案内が添えてあった。
初日はファミマのパスタを食って寝たようだった。
7時起床、各地に発送物をおくる為セブンイレブンに行き手続きをすると送り状は手書きではなくセブンの端末から入力する方式に変わっていた。
案の定セブン端末のキーボードは台湾特有の象形文字で埋め尽くされ手が出ない。
タイピングを店員に頼むもこちらも朝の忙しい時間帯でオレばかりにかまう暇などない。
事実上この朝のラッシュアワーが過ぎるまで送り状は入力できない。
なので抗ってみることにした。
キーボードの左側に 手寫 というキーがありこれはもしかすると・・
正解だった。 抗ってみるものである。
宿にスーツケースを置いてその辺を少し走った。
今回は旅の1カ月前、義弟の結婚式余興ではしゃぎすぎて肋骨を骨折し調整が不十分なのと2018年以来の単独走行で不安があった。
泊まった宿 瘋台北青旅 は台北駅南西方向徒歩5分にある。
日本なら八重洲か丸の内だろう。
その周辺を走ってみて分かったのが、エッチ系の所謂女性屋さんがナントカ理容店として営業している事だ。 なぜ髪を切る店を「床屋」というのか合点がいく。
辺りを物色しているとビルの谷間に行列ができていて劉山東牛肉麺との事、有名店のようだし並んで食べてみるとこれがオレには不適合で残してしまった。
これは牛肉麺ではなく台湾創作牛肉うどんである。(真偽を確かめてみて下さい)
13時自転車を保管している八里の小李単車へ
そして13時半この日の目的地 鶯歌 へ出発
初通過の五股区、新荘区を通り南下し鶯歌も近くなった辺りで雨がっぱとお茶の差し入れを頂く。
ありがとうございます!
わずか41キロだが2時間半で着いたから身体の調子は思ったより良さそう。
鶯歌駅前の 魚旅民宿 の8人部屋のお世話になった。1泊500元だから2500円
この日もしたたかに酔いカップラーメンを2つ食って寝たようだった。